#16 「網」であること

Writer:管理人

突然ですが、もしあなたが粟生線を廃止するならばどの区間を廃止にしますか?

多くの方が小野~粟生や志染~粟生といった末端区間での部分廃止を思い浮かべたのではないでしょうか。

いきなり縁起でもない出だしで申し訳ありませんが、今回はそんな部分廃止について考えていきます。


ご存知の通り粟生線では末端区間ほど利用者が少ないです。

人の流れが三木市では神戸方面であるのに対し小野市では加古川方面になっているように感じます。

初乗り運賃を取られ、少し遠回りしてまで粟生線を使って加古川に出ようというかたは少ないでしょう。

部分廃止という考えが出てくるのも当然かと思います。

ただ、粟生線が鈴蘭台と粟生を繋いでいるからこそ果たせる役割についても常に念頭に置いておかなければいけません。


1995年1月17日に兵庫県南部地震が発生しました。

神鉄は地震発生2日後の15時ごろから粟生線・三田線・公園都市線・有馬線(鈴蘭台~有馬口)で運行を再開。

ほぼ影響を受けなかった加古川線、18日から運行を再開した北神急行、21日から運行を再開した福知山線とともに大阪・神戸・姫路を結ぶ迂回路を形成しました。

粟生駅で3両編成に乗り込む乗客でごった返す写真も残っています。

海沿いを通るJR神戸線、阪急、阪神、山陽の運行が不可能になっても粟生線が繋がっていれば安心ですね!

しかしそれも過去の話。

当時非電化だった加古川線や播但線(一部)は震災時の迂回路として使用された実績をきっかけに電化されました。

それまで加速度の低い気動車が走っていた加古川線でも所要時間が短縮され、粟生から三田までの所要時間は粟生線経由と加古川線経由で十数分ほどの違いになりました(乗り換え時間は所要時間に含んでいません)。

加古川線が非常時の迂回ルートとして整備されている今、粟生線の役割はないのでしょうか。

それは違います。加古川線を迂回ルートにするには厳しい課題がいくつも存在するのです。

 

1つ目の問題点は輸送力の弱さ。

加古川線は西脇市駅で運行形態が分かれていて、加古川方ではラッシュ時間帯に4両編成が運行される一方で、谷川方では終日1~2両での運行になっています。

よって西脇市より北にある駅ではホーム有効長が2両となっており、加古川線単独で迂回ルートを担うのは明らかに輸送力が不足しています。また、西脇市~谷川には交換設備がありません。

それとは正反対に、粟生線では恵比須〜粟生が2001年に4両編成に対応しました。押部谷以西の単線区間でも交換可能駅は広野ゴルフ場前、志染、三木、樫山、小野と多く、15分間隔で運行できるため震災発生時以上に粟生線が果たせる役目は大きくなっています。

 

次に、姫路方面から神戸市街へのアクセスです。

もし仮に、粟生線末端区間が廃線になってしまった場合、加古川から神戸市街に出るには加古川→谷川→三田→谷上→新神戸というとても遠回りなルートしかなくなってしまいます。

非常時にこれだけ長距離を移動させるというのは1分1秒を争う非常時の移動手段として大きな問題です。

 

そして最後に、谷川ルートが招く混乱について。

加古川線と福知山線は谷川駅で線路が繋がっていることには繋がっているのですが、引き込み線を使わなければいけません。その上、引き込み線の有効長も短く、直通運転もできません。また、運行形態や輸送力が大きく異なる2路線の間で乗り換えが必要になることで混乱が起こることは必至です。


神戸電鉄は、粟生・有馬線間では震災発生時に粟生線から有馬線谷上駅までの直通列車を運行するなど、状況に合わせて柔軟な運行を行いました。


多くの方が震災で移動手段を失ったこと、忘れていませんか?

必要でないから、となくしてしまうと本当になくてはならないときに困ってしまうんです。災害時にはいろいろな地域でこのような状況に陥っています。


存廃問題は利用者だけの問題ではなく、地域みんなの問題とはよく言いますが、地域だけの問題でもありません。いざというときに利用者になりうるすべての人々の問題でもあるんです。

2018.01.17

 

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