Writer:管理人
第1回で少しだけ触れましたが、粟生線開業時には"電車"は走っていませんでした。
話は有馬線開業前の1928年7月にまで遡ります。
7月4日、神戸有馬電気鉄道に対して鈴蘭台・三木間の鉄道免許が与えられました。
神有電車により建設工事が進められていましたが、1936年に別会社"三木電気鉄道"を設立し免許を譲渡します。
どうやら1936年内に開業させると国からの補助金が受けられたそうで、突貫工事の結果1936年12月28日、架線の設置は間に合わないものの何とか年内の開業を果たしました。
最初に開業したのは鈴蘭台・広野ゴルフ場前間で、途中駅は鈴蘭ダンスホール前(現・鈴蘭台西口)・藍那・木津・木幡・栄・押部谷の6駅でした。(木津・木幡・栄は後日開業とする資料もあります)
"三木線"と呼ばれたこの路線を走ったのはなんと芸備鉄道(現・JR西日本芸備線)から借りてきたガソリンカー。当然三木線の急勾配を登れるわけがありませんでした。すると三木電気鉄道は国の許可を受けないままどこかから蒸気機関車を借り入れ、これでガソリンカーを牽引しました。現在では想像もつかない話です。
架線の設置が完了したため翌1937年4月15日より電車での運行を開始しました。
そして三木東口(現・三木上の丸)、三木福有橋(現・三木)と2度の延伸の後、1947年に神戸有馬電気鉄道と合併し神有三木電気鉄道の三木線となりました。
1951年には電鉄小野(現・小野)、1952年には粟生へと延伸し全通を果たしまし、国鉄加古川線(現・JR西日本加古川線)・北条線(現・北条鉄道北条線)に接続、路線名も"粟生線"に改称されました。
他の路線に比べて歴史の浅い粟生線も開業から80年、全通から64年。
その歴史の土台には遠く離れた安芸の地からやってきたガソリンカーの活躍があったことも覚えておきたいものです。