#1 「小部」への未練


記念すべき第1回は粟生線の起点・鈴蘭台駅とそのお隣の鈴蘭台西口駅についてのお話。

 

1929年11月28日、神戸電鉄有馬線が湊川・有馬温泉駅間で開業しました。

中間駅である小部(おうぶ)駅はこのときからすでに車両工場などの施設を多く併設し、列車運行上重要な役割を担っていました。また、経営の安定を図るため市街地からほど近い避暑地であることを生かした宅地開発も始まりました。小部一帯に付けられた新しい名前は鈴蘭台。これに合わせて小部駅は1932年8月1日、開業から僅か4年足らずで鈴蘭台駅へと改称されました。

そしてその4年後の1936年12月28日、粟生線の前身である三木電気鉄道が鈴蘭台・広野ゴルフ場前間で開業しました。鈴蘭台駅の隣に出来たのは鈴蘭ダンスホール前駅。時代を感じさせる駅名です。(開業当時はとある理由から非電化だったのですがこの理由はまた次の機会にご紹介します)

しかしこの後日本は戦禍に巻き込まれていき、外来語(カタカナ語)の禁止によってこの駅も改称せざるを得なくなりました。そこで1942年12月22日に新しく付けられた駅名が小部西口駅。神鉄が1度は捨てたはずの「小部」の名を冠した駅が復活した瞬間でした。

 

やがて終戦を迎え、鈴蘭台がみるみるうちに発展を遂げていったため1962年9月1日に鈴蘭台西口駅へと再び改称されました。しかし1956年頃撮影とされる駅舎の写真には既に「鈴蘭台西口」との表記が確認できます。

 

また現在では小部を''おうぶ''と呼ぶ人は少なく、周辺の学校名も''おぶ''という表記になっています。さらには鈴蘭台・鈴蘭台西口間にある小部トンネルの読みは「おぶ」トンネル。

 

…ややこしい。

 

土地固有の地名である小部から新しい住宅地としての名前に改称された鈴蘭台駅と、1度はその逆の道を辿った鈴蘭台西口駅。

 

その他の駅名にも気をつけて見てみるとその地域が歩んできた歴史が見えてきます。

そんな駅をこれからも紹介できたらな…と思います。

2016.12.28

 

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